ギャンブルに対する気づき やめた理由

 


ギャンブル依存症について

ギャンブル依存症になっていることを認めたくはなかった。

自分はちゃんと自制できる人間だと思っていた。

けれども借金をしてまでギャンブルをやる奴がまともな思考なはずがない。


冷静に客観的に自己を見つめてみよう。いや、ギャンブルにのめり込んでいる瞬間にそんな余裕はない。目の前の刺激に対して脳が強烈に反応しているだけなのだから。


ギャンブルという麻薬に脳が支配されている。

【ギャンブル依存症】であるのは間違いない。

やめようとしてもやめられない。何度後悔してもまたやってしまう。

本当に恐ろしい病気。


自分はいったい何なんだ。やりたいとやめたいが交互に目まぐるしく日々変わってしまう。自分に対しても世間に対しても嘘をついているように感じる。

本当の自分が何なのかさえわからなくなってしまう。

私はただ、幸せに生きたかっただけなのに、なぜこんな苦しい選択をしてしまったのだろう。

このブログを立ち上げたのも再度競馬の勝ち方を構築できた自分に対するご褒美が欲しかったから。

【何のため】と考えてみると結局はお金のためなのだ。


なぜギャンブル依存症を克服できたのか

自分が何のために生きているのかを突き詰めると辿り着く一つの答えに、幸せになりたいからという漠然とした答えがある。

そもそも幸せとは何なのかと言ってもそれはひとそれぞれの価値があるから一概にこれが幸せだという事項はない。

それでも、自分の中に罪悪感がある以上は、悪に結びつくことに対して幸せという感情に私はなれない。ということは、罪悪感に繋がることは自分の中から排除したほうが、幸せに繋がるということであって、ギャンブルは充分にこれに値する。

だからギャンブルはやめた・・・いや、そんな単純なお話ではない。

実は、幸せとは何だとか、どうしたら幸せになれるのかってのは常々感じていることでありすでに答えは出ている。魔法を期待していたのだけれど、答えは単純で、ただ今ある幸せを感じること、すなわち捉え方の問題というわけだ。

でもさ、それだけじゃなかなか到達できない部分もあるのではないか。

捉え方次第なのであれば、ギャンブルしながらでも覚醒剤やりながらでも人生を幸せに生きることは可能ってことだもんな。私はそこまでの捉え方に到達できる自信はない。

宇宙の法則が妙に気になる

これはたまたまネットサーフィンしてたら、気になった。
スピリチュアル的に言えば、引き寄せられたってやつだな(笑)

まあ、なんだっていいや。そもそも情報が正しいかどうかもわかったもんじゃない。
それでも、とにかく試してみたくはなった。だって今のままじゃ何も変わらない。

ふさぎこんだ悶々とした日々が続くだけ、それなら何かやったほうがいい。

で、辿り着いたのが宇宙の法則ってやつだな。

重力ってのは信じるとか信じないとか関係なく誰にでも作用する。
それと同じで不変の法則ってのはあるっていうわけと捉える。

色々あるのだけど、今の私にとって響いたものを採用し実践することにした。

その中の一つが現実の世界は心の投影で起きる問題は全て自分の心がつくったものということ。もし「願いが叶わない」のだとすればそれは間違った常識や観念で生きてしまっているということだそうだ。

うん、私の中で、大いに当てはまる。ただし、全ての願いが叶っていないわけではないのだから、問題のない思考部分もあるってことでヨシとする。

次に与えたものが自分に返ってくるというもの。与えるのが先で受け取るのが後ってこと。因果応報みたいなことなんだろうな。

でね、この宇宙の法則ってのをギャンブルにあてはめてみると恐ろしい事実に気づくことになる。

特に私が主として扱ってきた競馬というものはJRAとの戦いではなく、他賭けている人との争いだということをまず認識する必要がある。
私一人だけが賭けるのであればJRAとの戦いになるが、その場合は戦わずして負けが確定する。なぜなら控除率ってもんがあるからだ。テラ銭ってやつ。

すなわち自分以外他者との取り合い、JRAは一旦お金を預かっているに過ぎない。そのうちの数パーセントが収入となる。

で、ここが問題となる部分で、本人は自覚していようがいまいが、自分が競馬で勝つってことは誰かが負けるってことで、潜在的には他人の負けを望んでいるということになってしまうのだ。

何が怖いって他人の不幸を願うという行為が、奪い合いのギャンブルってやつなのだ。

ここで、与えたものが自分に返ってくるという宇宙の法則にあてはめてみると、他人に対しての不幸を願う行為が自分に返ってくる・・・すなわちギャンブルという行為は、ただひたすらに自分を不幸にすることを願っているということになる。

こんなもん、何十年も続ければ、たいていの奴は破滅する。
宇宙の法則に従って不幸になっていく。
だって、ギャンブルの本質なのだから。

だから仮にギャンブルに勝ったとしても、それは他人の負けで成り立つわけで、他人の不幸のもとに自分の幸せを手に入れるということ。

果たしてそれが、本当の幸せと呼べるのだろうか。
そもそも、勝とうが負けようが幸せにはなれない行動をやる意義などあるのだろうか。
銀行強盗して得たお金で生活したとして、幸せを感じれるのかと同義だ。

そう考えるとギャンブルなんて一切やらないほうがいいという結論に至った。

競馬の勝ち方を20年余りも研究し続けて、勝ち方も見えた挙句に、やっとこんな単純なことに気づけたいうオチ。

それでも、気づけて良かった。
ギャンブルをやめれる思考に至れて良かった。
現在は、そう感じている。

色々なタイミングが重なった

いわゆるお告げみたいな感覚。
人は何かしら自分を苦しめるパターンというものを持っている。

それは色んな形となって似たような問題を引き起こす。
心を揺さぶられるような出来事。

こんなこと前にもあったよなって気づくのだ。

でね、そういうことって手放すチャンスだって思った方がいい。

気づきをうながすような出来事は、根本にあるものを感じなければ。
流れに逆らって泳ぐのって大変だし、逆風を突き進むのは困難だ。
自然の波に乗っていくのが、懸命な方法なのは明白なんだよな。

それが私にとってギャンブルだった。

以上。そういうことだ。




現在は全てリセットして最近バージョンの検証中、興味のある方は覗いてみて下さいね。


コメント

このブログの人気の投稿

競馬の勝ち方を構築した上でやらないという選択をしていることについて

それぞれの的中率と回収率想定値

問題点は解決